1KBの価値 コラムつき

1KBくらいの長さだとしても、書きたいと思ったものを書きたい。

音楽ヒヤヒヤ

好きな音楽に飽きが来ないかヒヤヒヤしている。

こうもアイドルソング中心にJ-POPばかり聴いていると、本当にこれでいいのかと思うことがあって、かと言って乗り換えるものもないし、結局日々新しい曲を取り入れ続けてる。

本当に好きな音楽なら嫌いにはならない安心感があるけど、全部が全部大好きでいられるわけがないので、難しいんですよね。こういう状況。

雑感2020上半期

新型コロナウイルスの話。中国武漢ウイルスの印象が強かった頃はなんだこれと思いながら目にしてました。それが横浜クルーズ船の停泊を機に国内での事情が変わってきて、初の死者、クルーズ船以外での集団感染だったり、だんだん広がっていったのを指をくわえて見てました。

都内とか、爆発的に感染者が増える辺り(3月下旬)にはちょっとずつ危機感を持ち始めてて、自粛という言葉を意識するようになった。そうなったのには当時の志村けんさんが感染したという報道の影響もあったけど、それから2週間後に政府が緊急事態宣言を出して、というのが流れ。

もう半年以上の闘いになることは確実でしょうけど、現在のような緊急事態宣言明けになってもあまり動けてません。いわゆる第二波を警戒してるし、東京に出たいけど出れない現象は前にも記しておいたと思う。

 

個人的には報道番組をよく見るようになった。というのはクルーズ船の少し前からで、なぜだか流しておく習慣が出来ていた。それまでは見たい番組しかテレビを付けてなかったのが、今ではスマホと二刀流でニュースを見ている。

映画館は最近行ってなかったので、特に影響はなかった。

テレビアニメやテレビドラマの放送延期は参った。仮面ライダーゼロワンはつなぎまでかなり持ったが、4月クールはダダ崩れになっている。

CDの発売延期、これはそんなに大きなことだと思わないけど、なんとかしてる部分もあるので重苦しい映画界よりはマシでしょう。

 

物騒な話題は年間でそれなりに出るけど、今年はほとんどコロナでおかしくなってるかのような感想を持ちました。実際コロナ●●でそれが事件になったりしたこともあるので事実と言えるでしょう。

しかし、コンテンツが積み重なると思ったより過去に依存しますね。私はモノを選ぶし、常に追いかけてるんだけども。

 

上半期。一区切りつかないですね。厳密に変わるのはなんでもない時期なので、いつも目安に過ぎないと考えてますが、この上半期だけでもずいぶんと変貌を遂げました。もっと色んなことを探して、研究していきたい。そんな気持ちはやっぱり変わりません。

意味不明〜知らない幸せ

世の中、知らない方がいい曲がある。というのは、聴いたら自殺するといったオカルト系ではなく、単純に「知らないという幸せ」があるから。

どうせこの世に存在する音楽を網羅することなんてできないわけで、無意識のうちに音楽を選別し、自分好みの道に進んで行く。そのうちに巡り合ってしまうこともあるでしょう。

それが最初の幸せへの選択肢になっている。

普通は見ず知らずの曲に惹かれたとき、なんとなく入手しようとしても手が届く、そんな作品は結構多いと思いますが、あまり踏み込み過ぎるととんでもないことになってしまう。

これが早くも「知る幸せ」と「知らない幸せ」を表していて、困ったものです。私みたいにB級・企画モノetc……を追いかけてしまう人はバッチリ記憶していきますから、ホント、取り返しがつかない。

そうは言っても、私のツボに触れる作品はまだまだあると思うので、いつまでも追求していくことは大事なんです。

とにかく出会ってみなければ始まらないし。

HKT48「3-2」

突然感想みたいなものを書いてみます。少し遅いような感じしかしませんが、楽曲に特化した感想で良ければどうぞ。

 

かいせつ

HKT48はここ2018年よりシングルが年一作のみのリリースとなっていて、おまけに今作ではオリコン1位とともに頑なに守られてきたシングルあたりの楽曲数6曲(表題曲+カップリング5曲)の形態が崩れてしまいました。今作の楽曲数は合わせて5曲です。2020年の秋元グループはなんだか新譜の数が減っているので別に理由はないかもしれませんが、リリースの少ないグループでは余計に寂しい印象を与えるのではないでしょうか。近頃、新型コロナウイルスの影響で各グループの新作が発売延期になってますが、今作はその影響を受けずに発売した最後の作品になったようです。

 

かんそう

M-1. 3-2

Music:杉山勝彦

Arrangement:杉山勝彦、谷地学

「さんひくに」と読む。1年ぶりのシングルなのでどんなものか?と思いましたが、なるほどこういう感じか。あまり引っかからないのですが、終始小気味いい。タイトルは過去の「12秒」みたいな数字ネタですね。変に奇抜でないのは意識してのことでしょうか。曲調もふざけるような感じではないですし(笑)。

杉山勝彦さんがHKT48の表題曲を担当されるの初めてのことですが、杉山さんはHKT48にとっては初のオリジナル楽曲である「初恋バタフライ」も作曲されています。杉山さんといえば乃木坂46のイメージが強いですが、これまでの経歴を考えると「アイドルグループと作曲家」の縁ではHKT48も負けてないと思いますね。

 

M-2. おしゃべりジュークボックス

Music:HRK

Arrangement:野中“まさ”雄一

HKT48栄光のラビリンスCM選抜2020」というやたら長いユニット名のこの曲、結構面白いんのではないでしょうか。クラップ的な音、そして思ったよりカワイらしい音が出てますね。

 

M-3. キスの花びら

Music & Arrangement:中村歩、菊池博人

これは好きですね。楽曲情報でピンとこなくても、聴いてみればハマってしまう。そういうものは何度か覚えがあります。時に聴きたくなるタイプの曲だと直感したので、CDならではのInstrumentalをぜひ。

この作編曲者の組み合わせは初めてのようですが、だんだん目にする機会が多くなってますね。今後も見守っていきます。

 

M-4. How about you ?

Music:OiCHAN

Arrangement & Guitar:あらケン

スルメ系。クセになるギターとブラスを段々と楽しむようになりましたが、サビが息苦しいような。

 

M-5. 青春の出口

まだ聴いておりませんm(_ _)m

ドキュメンタリー番組。

う〜ん。たま〜にドキュメンタリー番組を見たくなるときがある。大抵、見るものに対して行き場を失っているとき、ふと現れる映像群に惹かれてパッと目を通すんです。

 

膨大な時間の映像をひとつの番組になるよう編集し、しかもそのような取材が色んな人を対象に行われている。これ、もちろん中断はあるけど何年もやったのが1時間ってすんごい濃縮なのかもしれない。

 

そして考えさせられ、前向きになれたりなれなかったりする。病気や生活に関する内容が多いからか、お世辞にもポジティブな印象を持てない作品があるわけだが、それをどちらにも転ばず淡々と放送できれば良いのかな。そういう原点的な部分から最近は失われているらしいし。

 

今でもドキュメンタリーってジャンルは反響を呼ぶし、取り上げられる題材はネット社会と考えれば年々増えていってるのかな──なんて、人の不幸が増えるみたいな言い方ですけど、社会にネットが絡まる環境なんて前からありますからね。

 

けれど、一応は完成した作品を放送してるわけで、例えば病気ならばもう取り上げられた人はもうこの世にいないなんてこともあるので、ある種ひとつの結果をサラリとプロローグで明かしながら追いかけている感じ。

 

そういう部分はなんでもありか。見て感じて考えるとか、別にエンターテイメントでもなく、割り切りにくいのはあるな。フィクションなら思いっきり泣いて笑えるけど、その人らの現実って背景があります。共感の意味でしか涙も流せません。

 

現実を含む生々しさもあって、普通のテレビじゃ映せない時代も感じることができる。今だとしても、同じなんじゃないか?って考えると、昔のドキュメンタリー番組は本当にその当時のことが詰まってます。そう言えるんじゃないでしょうか。

東京に行きたい!

東京に行きたい。というのを、東京に住む自分が言うのは実におかしいことだ。現に東京にいて、東京を熟知しているのに、東京に行きたいと言っているのだ。

その訳は、自分がいる東京と、自分が行きたい東京がかけ離れているだけなのだ。電車で都心に出たり、多摩川を伝って行っても良いが、とにかく自分が見たい東京はここには無い東京だ。それなら、行けばいいじゃないか。ところが2020年の東京は不自由でならない。この自粛生活のためにあえて東京へ行かない選択をしているからこそ、色んな気持ちになっているのは決して間違ったことではないんじゃないか。

そろそろネタが切れてきた。ならば、いま最も行きたい東京を探してみよう。自分は強いて言うなら「六町」が気になっている。地図を眺めた感想になってしまうが、足立区六町(ろくちょう)はつくばエクスプレスの駅名でもあり、北千住駅から2つ目の駅だ。つくば方面に一駅進めば、そこはもう埼玉県八潮駅という面白い土地である。駅の東側に綾瀬川と高速道路が走っているようだ。南に東京拘置所があり、綾瀬川もすぐに荒川放水路と合流している。あの辺は「足立区」のイメージはともかく、眺める分にはピッタリだと思う。ちょうど郊外に出てきた感じがするのに対しクネクネした交通網がカオスで都会的。

そんな気持ちで東京に行く日を静かに待っています。

月に何ページ読めるのか?

本を読むにも波がある。読書の秋というが、最近は4つの季節に読書をする期間が散りばめられたような感じがする。前回、本をよく読んでいたのは1月末から2月上旬のことだった。そして今、ふと家に置いたまま放置していた本を読んでなんだか解消した気分になると同時に、また本を読みたくなってきた。

本を読む波が訪れたときはそうなるように意図したわけではないが、困るのは読まなくなってしまうときだ。いつも短編集を手に取ると、興味本意の場合はぷつりと読むのをやめてしまう。中編や長編ならばなんとかなるのだが、どうしてだろう。短編集は量的に深く切り込みにくいし、テーマこそ同じでも頻繁に物語が変わってしまう。そんな調子だから、読者のほうも付いていく気持ちにならなければならない。

もっと気軽に、継続的に読むことができれば良いが、今度はそうできるだろうか。ひとつの目標として月に1作品読むようにできれば理想的ではある。ついでに、月に何ページ読めるか?といった当たり障りのない達成感も楽しめればさらに良い。

自分は様々な手段で本を探してメモを残している。突然本を読みたくなったとして、何を読もうか?とならないように、常に読みたいと思える作品を身近に置いているのだ。かなりの数があるから、到底すべてを読むことはできないが、日々変化する心境の中で特定の作品を選び出すことも楽しみのひとつだ。

20年前のDiaryを読んでいます

ただ単に興味があるから、色んなものを探しにいく。たかがインターネットの世界に過ぎないけど、探せば探すほど発見があるのは間違いない。たとえインターネットが黎明期から抜け出す時期であっても、すでに膨れ上がったコンテンツを網羅することは不可能に近いはずだ。

そんなわけで、最近は昔の個人サイトを追い求めるうちに見つけたDiaryというコンテンツについて、思ったことを残します。

 

Diaryの時代とは

ここでいうDiaryの中には20年以上前の日付を示しているものもあるが、つまりそういったページは20年以上にわたって個人的な内容を維持・管理してきたということになる。

さすがに今日まで更新しているサイトは一部のテキストサイトを除いてほとんど見られないが……。

近年は自作サイトではなくブログやTwitterなどに活動の場を移している例が多いし、そもそも更新停止して失踪──なんて人もいる。

そんなことはごく普通のことなのだが、Diaryと一口に言っても身の回りで起きたことばかりを書いているとも限らない。当時の社会情勢や芸能ネタを幅広く扱ってるところもあって、それらが自分にしてみれば知らなかったことや興味を持つきっかけにもなるので大変助かるのだ。

社会情勢というのは、当然その時代を映す一角を成すものだと考えられる。そのため、現代であってもすぐに思いつくような出来事が明日や昨日にあるというだけで、違った角度になるのは当然だろう。

『7/1 今月「ノストラダムスの大予言」が起こるのか起きないのか』という内容のDiaryは後にも先にも存在しないでしょうし。

だいぶ短絡的ですが、時代を遡れば遡るほどインターネットでのリアルタイム性を求めることは難しくなります。そういう意味だと、90年代末期は自分の手のひらで広げられるギリギリの時代です。

芸能というのも、現在から見ることで様々な分析ができると思う。当時はあの人があんなことをしていたとか、こんな人がいたというだけで面白いんじゃないでしょうか。

この時代の「懐かし」に浸るとしても、古過ぎて1次的なコンテンツ(映像など、直接的なもの)しか望めない部分があるため、情報の補填としては十分に価値があります。

それにブログの時代ほど数はないが、直接「芸能人」が書くDiaryも存在する。今のところ下のDiary以外知らないのだが、大丈夫だろうか──。

Hikaru Utada Official Website | MESSAGE from Hikki

 

話題は少し逸れるが、普通に昔のことを調べようとしてもあまり満足に行かないことが多い。なぜかと言うと、例えば「2000年」で検索しても基礎的な情報として重大ニュースや、あまり大きな意味を持たない数字としてのその年のことしか出てこない。要するに底が浅くて、自分の理想とするコンテンツには決して出会えないのだ。自分の探し方が悪いのかもしれないが。

そんなわけで、かなり工夫して当時のナマの声を探しにいくのだが、いくらGoogleさんでも適当なワードだけでは無作為に表示される検索結果を思い通りにはできないわけで。

結局、ふとしたことから出てきたサイトがたまたま当時のDiaryを載せていて──なんていう展開ばかりなのだ。出会えただけで感謝なのだけど。

 

Diaryに求めること

ここ20年くらいはあらゆる情報がインターネットに集まるため、探せばいつかは出てくる。ほんの数年程度であればネットニュースがいくらでも出てくるし、1次ソースが消えかかっていても、邪道だが転載ブログや2chまとめサイトがヒットするのは周知の事実だ。

そんな中で、ブログ登場以前になるとその難易度はさらに上がっていく。古くなればなるほど、1次ソースと同じく個人ページは責任もなくサイトごと削除されているところが多いから、狭き門を抜かなければ情報にはたどり着けない。現・5chだとニュースになっていれば2000年までは容易にたどり着けるが……。

そうなると、日々情報を得ている実感があるうちは、大発見なのかもしれない。

 

くだらないテキストサイトでも時代はある。昔はテキスト中心のDiaryばかりなので、Diary=テキストサイトみたいな部分もあるわねだし。それなら、もう有名なテキストサイトはぜんぶネタ系Diaryなのかもね。

 

これが世紀の大発見。

そうなんです。

たぶん──。

 

 

しちゃいました。

 

 

 

 

 

大・発・見

 

──そうです。

覚えておいてください。

たぶんすぐ忘れると思うけど。

 

ハッシュタグ 検察庁法改正案に抗議します

5月10日(日曜日)の朝にこのタグを見つけて、瞬く間に広がっていくのを見ていた。ハッキリとタグをつけてツイートするわけでもなく、興味ありませんとか、賛成しますとも言わずに。

たまに更新すると、毎回著名人の新しいツイートがトップに表示されていった。それにものすごい勢いを感じたし、同時に色んな反応が広まっていることも時間の経過とともに明らかになっていく。

他にも、趣味で音楽家の人のツイッターを見てみると、十数人の方がハッシュタグをつけて発信していた。ふだん政治絡みのツイートはしないのに、ここだけ無関係ではないと断言するみたいな動き方。これも見ていて斬新に思う。

こういった意思を持った声は、必ずしもその発信自体に意味を持たないとは限らない。こんなことが起きているという事実も揺らがないんじゃないか。それが、ツイッターで意思を表明しなかった人の答えです。

ムーブメントには反応するが、直接乗らなかったのはなぜか。例えそれが、別のかたちであったにせよ、数日前の謎な行動を、今の自分に説明できません。

公園へ

約60日の沈黙。

 

やはりたまには散歩をしないと辛いものだ。用事を抱えていても、今はそんな季節じゃないし。そんなわけで、近くの公園に出かけた。厳密には隣町でも、自分の生活圏とは区別がない。街道を抜け、住宅の奥にある公園は広々としているが、それでも普段と比べて人が多い。遠くにある段の上に座り、ギターの弾き語りをする人や、ただスマホを触ってるだけの人もいる。

こんな様子なので、あまり見ない弾き語りを遠くから眺めるように聴かせてもらい、自分もこの景色に仲間入りするのが気持ちいい。もっとも、三密は一定の距離を取ることで十分に守られている。だが、ひとつ隣の区画には児童公園があって、そこは多くの子供たちがワイワイと声を上げながら、遊具で遊んでいた。遊具が規制されたりしているようだが、今はどうなっているのだろうか。

しばらくして、公園を後にする。さらに裏山のような自然豊かな森のなかへ進むと、どうも人とすれ違う回数が多かった。やはり、みんな散歩に選ぶ場所は同じなのだな。自然のなかの階段を登ると、自分は行ったことない道を進んだ。整備されてるとはいえ、こんな姿もあったのだと思うが、ここだけ人が少ないことは否定できない。人を選ぶ裏道は、今でもそんな存在だった。