1KBの価値 コラムつき

1KBくらいの長さだとしても、書きたいと思ったものを書きたい。

ある監督の映画を4本くらい見ている。事前知識として私は洋画という洋画を見たことがない。なぜか韓国映画を数本楽しんだくらいで、いわゆるアジア圏から抜け出したことはただの一度もない。話戻る。その監督は一般的には評価されてる監督で、邦画の中でも特に評価の高い作品がいくつも並ぶ。しかし、私にとってはその評価の高い作品より、ひとつ低い作品のほうが好みだった。

 

映画にだっていろいろある。明らかに娯楽映画の域を出ないものは、誰が見たって最低限の評点があると感じるが、信念その他事情によりある一定以上の評価をされない映画も数え切れないほどある。それが単に娯楽の域を出ないからなのか、門を開けないからなのかは知らないが、なんとなくそういう空気のする映画を愛している。個人的な感じ方に意義を唱えるのは違うと思うが、いわゆる文芸作品を半ばスルーしてきたからか、未だに独特な好みが染み付いてしまっている。好み、別に恥じているわけではなく、大事にしたい感覚なのだが、圧倒的に歯痒い思いをするのはこちらだ。みんなと良い意味で逆行していくことが、個人の感じ方次第の映画作品では当たり前のようにある。ところが、一般的に限度ある面白さに門を開いて、面白さが広がった感覚になるのはどこから来ているのか。