1KBの価値 コラムつき

1KBくらいの長さだとしても、書きたいと思ったものを書きたい。

あの頃、どこにある。

ネット界隈がアングラから脱し、そういった雰囲気を「あの頃」と呼び始めて久しい。

 

まだあの頃がつかめないでいる。約10年か、それとも20年後か。まだわからないが、もし今の時代からあの頃を求めるとするならば、何があの頃になるんだろう。今風に言えばInstagramYouTubeがもし終わってしまえば、一時代を塗り替えることになると思う。そんなに衝撃的な出来事があるならば、あっさりとあの頃が形成されていくだろうけど、それじゃ今の時代、何もかもが変わらなければ起こることはない。最近の例だと、2ちゃんねるだろうか。あくまで「2ch.net」のことになるが、そのサイトはもう2年近く前に終わっていることが、なんだか未だに信じられないのは、はっきり2ちゃんねるの形態や文化が消滅していないからではないか。Instagramは結構前からあったが、Twitterよりは後になって台頭してきたSNSだと記憶している。ということは、それより昔のサービスをどこかで塗り替えている部分があるのではないか。それならばYouTubeはどうか。ネット史でいえば元祖・動画配信サービスみたいな雰囲気で、毎年良くも悪くもアップデートされ続けている。ニコニコ動画のほうが印象的かもしれないが、あゝいった動画サイトの普及、即ち黎明期は何かしらの土台がありつつも、ひとつの文化を新たに作っていく過程と、作られていく過程という二つの見方が面白いんじゃないか。その辺りは、ニコニコ動画で言わせてもらえば未だに再生回数でトップの動画たちはその発展の恩義を強く受けたものばかりなので、まだ今からでも手が届くはずだ。

ならばもっと時代を遡り、20年以上前を見てみると、なかなかコンテンツは多い一方で、あまり実感の湧かないものばかりだ。この時代にあの頃を見出せないがために、「歴史上」というべき見方をしてしまうのはしょうがないことだが、やはり少し距離を取ってしまいがちだろう。よほどのことがない限り、アングラと思えなかったり、デザインのせいでまともな内容なのに色物に見えてしまう。いつしか気にならなくなり、時代の遺産と思うことにした。この言葉は結構重くて、なかなか突っ込まない部分なのだが。少なくとも、今・これからあの頃になっていくには、何かしら変革がなければならないだろう。あの頃には大前提としてネットの誕生・普及があり、メディア面ではVHS・MDからの移行、ハイビジョン制作なんてものも始まった。ところがそのあたりからマイナーチェンジとして若干発展するばかりで、一気に進化するような状況ではなくなっている。大抵のアプリが時間をかけてバージョンアップしていくように、こちらも波になりながらその進化に付き添っている。これからはそういったことが基本になり、アップデートの中に変革があるのかもしれないが、いまいち見えてこない。